「絶対音感」を読んで


先日、CDを聴きながら何の気なしに視線を本棚に移したら、
ある本が隅っこに埋もれるようにはさまっていた。
「絶対音感」(小学館刊行)と題されたその本を取り出すと、
21世紀国際ノンフィクション大賞受賞作、
「それは天才音楽家へのパスポートなのか!?」
と帯に書いてある。

「絶対音感」の才能に憧れる私としては、とても興味が惹かれる題名だ。
しかし、一般的にはあまり知られていない、マニアックな言葉をタイトルにするとは!
いったいどんな内容なんだろうと思いながら、ページをめくってみた。

学術用語も多数出てきて、難解な表現もあり、
CDを聴きながら読む本ではないと思って、音を消す。
著者は最相葉月氏というフリーのライターで、
「この言葉を初めて知ったのは、1996年の冬、
音楽好きの友人たちとのほんの些細な会話がきっかけだった」
と語られている。
最初は拾い読みをしていたが、心に響く言葉が随所に散りばめられていて、
いつのまにか本腰を入れて読んでいた。

まず著者は、「絶対音感」という言葉を耳にした時点で、
この言葉に何の先入観も持っていなかった。
音楽に携わってこなかったことが幸いして、
感受性豊かな彼女の率直な疑問から、
この素晴らしい作品が生まれたのだろう。

「絶対音感」とはいったい何か?
最相氏が「ニューグローブ音楽辞典」で調べたところによると、
『ランダムに提示された音の名前、つまり音名がいえる能力。
あるいは音名を提示されたときにその高さで正確に歌える、
楽器を奏でることができる能力』
とある。
まさに、私が欲しくても手に入れられなかった才能。

著者の「絶対」とは何なのかという問いに、
自らその答えを探す長い旅はここから始まる。
ミュージシャン(千住真理子や矢野顕子、渡辺香津美、大西順子など)や
天才バイオリ二スト・五嶋みどりと龍兄弟の母親へのインタビュー記事、
科学者からの見解やこの才能を身に付けるメソッドの歴史も取り上げられていて、
その内容は濃い。

読み進めていくうちに、「絶対音感」にはレベルがあって、
10を最高だとしたら、自分は2ぐらいあればいいと思うようになった。
レベルの高い人の中には、サイレンの音が鳴っただけで音名が
頭に鳴り響いて煩わしさを感じたり、
BGMとして音楽を楽しむことができないこともあるそうだ。
音楽はもっと自由なもの。
音名を気にしていたら、真の音楽の素晴らしさを享受することができない。

指揮者の小沢征爾やバイオリニストの五嶋みどりは別として、
日本人が音楽の分野で、創造性や表現力の光彩に欠けるのはなぜか
という問題に対する答えも示唆されている。

この本の「あとがき」を読み終えた時、
心の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。
音楽をやる上で、「絶対音感」の才能よりもっと大切なものがある.。
それは人に感銘を与えるという力。
いくら音名をあてる能力があったり、演奏技術が高くても、そこに心が宿っていなかったら
人に訴えかける力は生まれてこない。
絶対音感があっても、必ずしも人を感動させられるとは限らないのだ。
なぜなら、この力は「音楽」の世界に限定されるものではないから。
様々な分野で、人は人々に感動を与えることができる。

私は初め、人を感動させる力も、天性のものだと思っていた。
しかし、海の青さや夕暮れ時の空の美しさ、
人の優しさや辛さ、そして微妙なニュアンスを「感じとる心」を育んでいけば、
誰でも生まれた時から備わっているこの力を、
自分の才能と連動させて発揮できると今では思っている。

人は本物に触れた時、心の底から感動する。
そして、それを他者が真似しても、本質をつかむことは到底できない。
表現者の心はひとつしかないのだから。
大自然が作り出す景色や風の音、花の色は意図的に作られたものではない。
だからこそ、人はそれらに感じ入り 、心を打たれる。
人の心の中におのずからある豊かな感性、
これがありのままの形であふれでてきた時にこそ、
真の感動が生まれるのではないかと思っている。


★日本人の演奏テクニックは大したもの。
指は素早く、目まぐるしく動き、至難の技をこなす。
ところが、バッハやモーツァルトなどの基本的な、
技の上ではあまりむずかしくない曲となると、
まるで味けなく、豊かな感情表現がない。
ただ指を動かし、音を羅列するだけ。
<1983年イスラエルのテルアビブで行われたピアノ・コンクールで、
それに参加した日本人に対する外国人の審査員の評価>

★(日本の)画一化教育が突出した才能を生み出す機会を妨げている。
・・・絶対音感が何か説明しろといわれても、説明のしようがないのです。
鳴った音の音名が何かわかるというのは、辞書には確かにそう書いてありますが、
非常に初歩的な意味です。
色の識別と同じで、赤や緑というのは簡単です。
そうではなくて、音のかたまりが響いたときに、それが柔らかいのか、
輝いているのか、くすんでいるのか、その識別が大事なんです。
<ピアニスト・園田高弘/日本のピアノ界の第一人者。
世界的なコンクールで審査員も務める。>

★技術を磨くことは簡単なのです、一生懸命努力すればいいのですから。
でも、私はそのとき、テクニックが100パーセントあるということで、
自分にないものを完璧にさらけだしてしまったのです。
何の表現をしたい自分もいなかったのです。
友だちが何人かいて、好きな先生や嫌いな先生もいて、好きな科目もある。
そんなごく普通の15歳の私しかいなかったのです。
喜怒哀楽も非常に稚拙なものでしかない。
幼稚な感情しか表現できない。
テクニックは完璧だけど内容は希薄、幼すぎる。悩みました、本当に。
<バイオリニスト・千住真理子/最年少の15歳で日本音楽コンクールに
優勝した時、師が言った次の言葉を受けて。>

★あなたはもう完璧だ。弾けないものは何もないはずだ。
でも、これからがたいへんだね。
これからあなたに求められるものは、
音楽という名の芸術だ。
いつの日か、あなたの演奏で僕を感動させてください。
<江藤俊哉/「天才バイオリ二スト誕生」と千住真理子が絶賛された時の師>
 
<03・12・12>